肉体こそが聖なる器

結局のところ、霊的な体験や、波動を感じたり、神を感じるのも脳がその様に認識している訳です。
いや、霊体が感じているのだと反論する人もいるかも知れませんが(笑)

でも、自己の意識の座は、肉体であり、脳ですからね。
当たり前なんですが、精神世界系の人はそれが当たり前でない場合があるのでやっかいです。

気功師は気というエネルギーを使いますが、それは肉体を通して使うと認識します。
肉体こそが、神の聖なる器なのですから。
現実化というのも、肉体を通して行うのです。

霊的器官という表現もありますけど、肉体こそが霊的な存在なんだと強調しておきます。
この宇宙にあまねく存在する意識が、肉体とつながり、そこから精神が派生するという概念です。


いわゆる霊体は、脳によって作り出された想念の塊であって、肉体が先であるのだということも理解して頂きたいと思います。

ですから、死んだら自己も終わりです。
転生はありません。


残留思念は残る場合はありますが、それは単なる想念の塊(自我)です。

ただ、多くの人はその想念の塊(自我)を自分と思っているので、それがいわゆる幽霊と呼ばれる存在となります。
でも、それは死んだ人の記憶によって動いているプログラムにすぎません。
その人本人ではないのです。

仮に、ある人の思考パターンをプログラム化して、高性能コンピュータに入力すれば、あたかもコンピューターがその人の様な思考をするでしょうが、それは、その人そのものではありませんよね?
昔あったゲームの「シーマン」と会話する様な感じでしょうか。

幽霊も、そのようなものです。
人格のプログラムによって活動している想念エネルギーの塊なだけです。

そういう意味では、特殊能力者が自分の想念体を固定して、肉体から離れ、新しい肉体に移動し、自我を継続するということは可能だと思います。
でも、それは憑依であり、新しい命を奪い取ることです。
許されることではありませんが、偶にやる人はいるらしい。


おいといて。
転生はありませんが、過去生と認識してしまいそうな体験はあります。
前提として、時間というのは、過去から未来へ流れているだけのものではなく、すべての瞬間が、今、存在しているということを理解する必要があります。

結局、転生という認識は、時間が過去から未来へ一定方向に流れているという誤解によって生ずる認識です。
すべての時は、今だけです。
存在した過去も、実は今、存在しているのです。

過去という今に存在する、自分と同じ波動領域を持つ存在が、いわゆる過去生と呼ばれる対象です。

すべては今に存在していますから、時空を超えて波動は共鳴します。
共鳴した波動により、過去生と呼ばれる存在の記憶を、「思い出す」ことがあります。
でも、先にも述べたように、その過去も今、存在しています。
しかも変化しているのです。

過去生と呼ばれる存在の人生も、まだ決まっていないのです。
変な表現ですけれども。

そして、自分の波動が変われば、過去生と認識していた存在との共鳴は終わりますから、また別の人が過去生である様に感じることも起こってきます。


これはパラレルワールドの概念も理解している必要があります。
想像可能なすべての過去、未来、そして、現在がすべて、今、存在しているのだと。
この概念が理解できれば、私が言いたいことが理解していただけると思います。

大切なのは、今、この瞬間の自分なのです。
過去生なんて何でも良いのです。
必要な記憶なら、今に生きていれば「思い出し」ます。
思い出さないなら、必要ないのです。

それから、現実というのは、この肉体があってこそのことであり、霊体の方が付属品なのです。

精神世界系の人は、逆のことを思うようですが。
肉体をおろそかにしたまま霊体をいくら大切にしたって、幸せな現実なんて体験できません。
幸せを体験できるのは、肉体があるからこそです。

肉体こそが神の聖なる器であるということを繰り返し強調しておきます。




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