神に対する認識

人間も神の一部であるという考え方は、これまで書いてきましたが、その一部がどういう位置づけの場所かという認識が変化しました。

以前は、人間の体で例えると、人の位置づけは感覚器官程度の認識でした。
でも、この前思ったのは、脳じゃないのか?っていうことです。
神の中枢が人間存在だと感じた訳ですね。

つまり、神の意識とは、人間存在の意識そのものであるという認識です。
それは、つまり、人間ひとりひとりが神そのものなんだという結論ですね。

やっかいなのは、「脳」の数が、地球だけで64億超あるってことです(笑)
ひとつの体に脳がそんなにあったらどういうことになるかっていうのが、今の世界の現状ということです(笑)
例えば、3人で車を運転することになり、ひとりはアクセル担当、ひとりはブレーキ担当、ひとりはハンドル担当なんてことになったら危なくて仕方ないですよね。

まあ、指揮官がちゃんと居ればうまく動きますが。
船とかってそうですし。
船長をリーダーにして、レーダーを担当する人、舵を取る人、スロットルを調整する人、機関を監視している人、その他多数の人が一緒に操船している訳ですからね。

そういう意味では、地球のリーダーみたいな人間というか機関は必要なんですよね。
強力なカリスマ性を持ったリーダー的な存在がね。
平等だけを求めていては、そういう存在は出現しないでしょうね。
公平を求める世界なら、きっと出てきます。

話がそれてますね(笑)
人間ひとりひとりが神って話です。

だからって、わたしは神だー!!とかって話じゃなくって、あなたも神なんだよってことですよ。
正確な表現をすれば、わたし達は神なんだってことです。

もしくは、わたしも神って感じですね。
自分だけが神ってのはあり得ませんから。

ただし、人間が神の脳だからといって、体とつながって無ければ何もできないのは言うまでもありません。
だから、「この現実世界に於ける神の体である地球」と、つながる必要があるのですし、これまで、ずっとつながってなかった訳ですから、動かせる用意なるには、リハビリが必要になってくるのも当然です(笑)

実際には、もっと色々なことが絡んでいるのですが、それを書き出したら、えらいことになるので、ここまでで。

変な解釈の仕方する人が出てくるのは、覚悟してますが、出来れば勝手な解釈は止めてくださいね。

この認識は、表現する言葉が違うものの、仏教的な世界観と同じ様なものであり、そんなおかしなものではありません。
般若心経とかの世界観と対して変わりません。

涅槃の境地って、人間ひとりひとりが神なんだってことの自覚であり、意識的な創造でしょうし。
仏教では、神って言葉を使ってないだけです。




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