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凡の非凡を知る
人というのは、ドラマティックな出来事が無いと、なかなか幸せを感じられない生き物の様ですね。
平凡な人生なんてつまらないから、幸せじゃないという感じなのでしょうか。
平凡という言葉自体にあまり良い印象を持たれない方も多い様ですし。
でも、何かのきっかけで、全てを無くすと、自分が如何に幸せだったかに気付くことも多いですよね。
当たり前だと思っていた、ごくごく平凡な生活が、とてもつもなく幸せなことだったと、無くして初めて理解します。
前にも書きましたけど、無くして理解出来るなら、その気になれば無くす前に気付くことが可能です。
平凡な毎日っていいますけど、逆に言えば、特に不幸な出来事も起きていないということでもあります。
世界標準で考えてみると、住む家があり、明日の食べ物の心配もしなくてよくて、大きな怪我や病気にもならず、事故や事件にも巻き込まれていないということだけでも、もの凄い幸運なんです。
単にそれに気付いていないだけ。
もちろん、より大きな幸せを求めることは悪いことではありませんし、その欲望によって社会が発展する要素もあるので、その欲望は、むしろ必要なものでもあります。
でも、既に幸せであることに対する感謝の気持ちを忘れると、欲望に振り回されてしまいます。
際限なき欲望は、破滅をもたらしますからね。
感謝の気持ちを忘れなければ、欲望に振り回されることはありません。
欲望と上手く付き合うことができます。
厳しい現実を体験している不幸な人が一定の割合で存在するのは確かです。
でも、多くの人は別に不幸でもないのに、幸せを際限なく求めることで、既に幸せであることを忘れてしまいます。
幸せになりたければ、幸せで在ればいい。
幸せで在るならば、幸せな現実を引き寄せます。
既に幸せで在ることに気付くことで、その幸せの波動が幸せを象徴する現実を引き寄せ、更に幸せになるのであって、幸せになろうとして幸せになるということでは無いのです。
幸せになろうとしている間は、どれだけ外的な状況が恵まれていても、幸せにはなれないのです。
これは重要なポイントです。
健康だってそういうところがあります。
多くの人は健康がゼロで病気がマイナスって考えますが、健康が100点満点で風邪ひいたくらいなら95点くらいと捉えた方が実状にあっている様な気がします。
ゼロは死んだ時ですから。
死んでもマイナスにはならないんですよ(笑)
絶対的な健康なんて幻想ですからね。
どんなに健康な人だって、多少体調を崩すことはあります。
多少の病気も含めて健康なんだという感じ捉えてくれると良いなぁと思いますね。
何にしても、当たり前だと思っていることも、実は凄いことなんだということに気付くことができれば、何も無くとも感謝の気持ちが湧いてくるものですので、そういう考えも心の片隅にでも置いて頂くと良いかも知れません。
それが、「凡の非凡を知る」ということ。
それは感謝につながる大切な考え方です。
何かのマンガで、何十年も同じ味を守り続けるレストランの話がありました。
一見、地味なことで大したことない様に思われるかも知れませんが、毎年の天候によって、常に変化する食材の状況の中で、何十年も変わらぬ味を出し続けるということが、どれほど凄いことかという話でした。
何十年も料理の味が変わらないことは平凡なことにしか感じられないかも知れないけれども、実は、それがもの凄いことであるという意味に於いて、「凡の非凡を知る」という言葉の良い例になるかも知れません。
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