「自分が与えたものが自分に返ってくる」とはどういうことなのか?


自分の与えたものが自分に返ってくるというのは、行いの報いがそのまま返るということではありません。

自分の考え行動によって、体験する現実が作り出されるということです。
ただし、皆で共同創造をしている面もありますし、創造力の強弱が人によって差があるので、注意が必要です。
そして、現実化を生む大きな力が感情なんです。

人に対して不愉快な想いをさせれば、その感情が現実化に影響を持ちます。
不愉快にした人が大ければ、その現実化力は大きくなります。

当然、不愉快にした当事者に対して、怒りのエネルギーが向く訳ですから、当事者の現実に悪影響がでます。
それが激しい怒りだったとしたら、事故死や病死にさえなりかねません。

当事者の視点からすると、常に持っている怒りが投影されて、不幸な現実を招いたということになります。
怒りを抱えているから、誰彼にも攻撃的な対応をするのですが、それが周りの怒りを買って、余計に居心地が悪くなり、更に怒りを抱えることになります。
自分に原因があるにも関わらずです。

自分で自分の現実を創りだしている訳ですし、自分の与えたものが自分に返ってきているとも言えます。


自分が与えたものが自分に返ってくるということの、もうひとつの側面は、自分が信じている通りの現実を作りだしているということでもあります。

所詮、世の中この程度と思っていれば、それを裏付ける様な現実を体験します。
世の中捨てたモンじゃないと信じているなら、その様な体験をするのです。

何を信じているかによって感情が変わり、その感情によって行動が変わるので、このふたつの側面は関連しています。


例えば、身の回りに誰彼にも攻撃的な人がいるとします。
ある意味では、誰彼にも攻撃的な人が近くにいる現実も自分で創りだしているので、それに対して、どのように対処するかというのは、自分の成長にとって重要なことがらです。

腹が立つのは当然ですし、それを否定する必要はありません。
許容量を超えているなら、反撃するのもありだと思います。

ただし、感情にまかせて反撃すると、負の連鎖が続くので、どこかで断ち切る必要はあります。
でも、断ち切らなくても良いです。

何が正しいとか間違っているかではなく、自分がどのような存在で在りたいかが重要なポイントなのです。


懐のの深い存在でいたいなら、反撃はやめるという選択もありでしょうし、いや、いくらなんでもあれを見過ごすことは出来ないというのであれば、反撃するのも間違っている訳ではありません。


要は、自分がどうありたいかに基づいて行動を選択するだけです。
その選択の結果として、次の現実が創造されるのですが、それが、「自分の与えたものが自分に返ってくる」ということですね。


反撃したから、良くない現実が襲ってくる訳でもありません。
反撃の対象の人の性格から予測できる程度の逆切れによる報復が返ってくるだけです。
それ以上でもそれ以下でもありません。


相手が犯罪行為を行っているなら、告発すれば良いだけですし、それに対して感情的になる必要もありません。
淡々と法に則って、行動すれば良いです。


但し、イライラが溜まっていると、そういう人達と関わる率が高くなるということはあるかも知れません。
そういう意味では、人は自分を映し出す鏡でもあります。
怒りの解放が進めば、そのような人達と関わることが少なくなってきます。


自分の状態を映し出すバロメーターとして利用するくらいのつもりでいれば、腹の立つ嫌いな相手にも感謝はできます。

相手を好きになる必要もありません。
「気付かせてくれてありがとう、でも目の前から去ってください」という気持ちはアリだと思います。

正しいとか間違っているということはないですから。
自分がどう在りたいか、そのためにはどういう行動するのが良いか、ということがあるだけです。



しあわせな現実を創造するために


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