愛は「する」ものではない

愛という言葉は良いのですが、「愛する」という言葉に違和感がずっとありました。
「愛する」よりは「慈しむ」だよなぁって。

気付いたのは、慈しみの気持ちを持つとき流れるエネルギーが愛って感じなのかということでした。
だから「愛する」ってのは違和感があったのだろうと。

つまり気の波動の最高の状態のひとつが愛だということですね。
気とは神の愛そのものなのかも知れない。

それから、好きという気持ちと、それに愛が伴うかどうかはまた別の問題だということは、付け加えておきたいと思います。

好きになった当初は、ほとんどの場合、愛も伴っているのでしょうが、それが執着に変わることが多々ありますから(笑)
愛を送るところから、愛を奪うことへ変化してしまう訳です。
それは、もう慈しみでもなんでもないので。

無条件の愛というのも表現も妙な表現だなぁと思うようになりました。
「条件付きで愛を送る」ということであって、「愛に条件がある」訳ではないのですよね。
愛は愛なので。

結局それは「愛する」という言葉から派生してきた言葉なので、条件がどうこうという話になっているのでしょうけど。


要するに、愛は「する」ものではないのだという話です。
それは愛という存在の状態であり、特定の人だけに向けられるものでもない。
それを無条件の愛、無制限の愛と、一般的には呼ぶのでしょうが。


愛ということがそういうことであると、好きだけが理由で付き合っている関係なんて崩壊します。
パートナーだけに愛を送っている訳ではないのですから。
「私だけを愛して」なんてのが成り立たちません(笑)


そのことに関しては、ずいぶん前から書いてますけどね。
人生の目的というか成し遂げたいことが似たような方向の者同志が一緒になるのが大切なことになるのでしょう。
少なくとも目的がお互いの足を引っ張らないものであるというか共存できることでしょうか。


そのためには、各々が人生の目的に気付いていないと話にならないですけど。
それは細かいことではなく、大きな方向性に気付いていれば充分です。
まあ、それでも好みっていうのはありますけどね(笑)
でもそれは「きっかけ」であって、理由ではありませんね。

何にしても自己の確立が出来てなければ、パートナーシップはうまくいかないであろうということは言えると思います。



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